イタリア人の会話

1998年夏、Firenzeで語学留学をして以来、今日までイタリア人を観察してきた僕は、イタリア人の会話の仕方について、日本人と色々な点で違うことに気付きます。今回の記事では、その中でいくつか印象的な話を紹介します。

人と話すのが大好きな

イタリアの人は、会話するのが本当に好きだと思います。家族とのちょっとした会話は勿論、恋人、友人、顔なじみの店員、近所の知り合いなど、相手はまさに自分の生活領域の中で出会う人全員です。

会えばとりあえず「元気?」あるいは「調子はどう?」と互いに尋ね合うことから始まります。これは、既に知り合いになっている人同士だけでなく、初めてあった人に対して軽めの挨拶をしたいときにも使われます。僕自身は、初めのうち、初対面の人から「調子はどう?」と尋ねられることに違和感がありました。というか、正直、今でも答えに困ります。だって、僕がなにをやっている人なのか相手はまだ知らない人なんですから。

さて、イタリアでも日本同様にケイタイは普及していますが、日本と決定的に違うのは、ケイタイを通話のために使っている点です。この点に、僕はイタリア人の会話好きであることを強く感じます。言うまでもなく、ケイタイは本来そういう用途のものではありますが、日本では通話は決して主な使い方ではありません。

日本では、特にここ数年のスマートフォンの普及に伴って、会話の機会を放棄することが増えています。ラインやFacebookでのやり取りが中心で、面と向かっての会話は限られています。町中では、ケイタイの画面を覗き込んだまま、前方を見ないで歩いている人が増え、電車やバスの中でも大半の人がケイタイの画面だけをじっと見ています。ひどいケースになると、隣に友人や恋人がいても、お互いにケイタイで誰か別の友人等とやり取りしていることもあります。

以上のことから、ケイタイの出現によってますます会話好きに拍車がかかったイタリア人と、ケイタイの出現・発展によって会話から距離を置きはじめた日本人との違いが、僕には興味深いです。

またケンカ?

僕の知り合いのカップルの家に下宿生活させてもらった時、夕食で二人が話しているといつも驚かされたのが、しょっちゅう「言い合い」を始めることでした。食事の最中にとても険悪なムードになって、その場にいる「中立的な存在」の僕としては非常に気まずい思いをしていました。
そんな思いでしばらく生活したある日、彼らに尋ねてみました。よくあんなに毎日ケンカするのに、一緒に住んでいられるね、と。すると、二人とも不思議そうな顔をして「あんなのはケンカでもなんでもないよ。笑」と言います。
たまにであれば、僕もそんなお節介は言わなかったでしょうが、あまりにも言い合う時の本気度が高かったので僕の受け止め方も段々シリアスにならざるを得なかった訳ですが・・・
つまりは、「言い合うけども後腐れない感覚」を彼らは持っているようなのです。この点、日本人は、伝統的に後腐れを避けるための会話技術がベースにあると思 えるので、イタリア人と比べると圧倒的に「空気を読む」感覚が鍛えられています。そして、それでもなお、後腐れがいたるところで発生し、人間関係のストレ スの原因となっているのではないかと思います。(もちろんこれは、単純に会話自体を好むかどうか、等という単純な議論に収まる話題ではなく、学校教育や社 会習慣も含めて吟味すべき話ですので、この記事ではこれ以上は掘り下げません。)
僕自身は、イタリア人のこういう点になんとなく気付いた時から、自分のコミュニケーションにおけるスタンスというか、定位置を見つけられた気がしていて、心を開いて会話することが怖くなくなりました。

次回は、イタリア人とカトリックについて書きます。

ケン

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